わたしがあらしにおもうこと。

 

 

 

 

まだまだぼーっとしていて、拙い文章だけど、今の気持ちの記録。

 

 

 


わたしがはじめて、応援したいと思った、好きになったひとたちは、あらしです。
好きのはじまりやこれまではとりあえず置いておいて。
あらしがいてくれたから、あらしを好きになったわたしがいたから、こうして今のわたしがいます。

 

 

 

 

 


そして突然ですが、わたしのあらし以外の好きを話します。


ここ数年前までは、わたしには、ずっと、あらしだけでした。あらしだけが好きだと思っていました。
他のひとたちが入る隙間なんてないって本気でそう思っていました。
だけど、その真っ直ぐに純粋に信じ続けてきた大切ななにかを、一番大好きなにのさんに一瞬で壊されてしまった2016年の夏のこと。
その出来事をきっかけに世界は変わり始めて、出会った(というか気づいてしまった)関ジャニ∞
ほんとうに関ジャニ∞を好きはずっと楽しくて、応援してる毎日がとても楽しくて、期待をいつも超えてきてくれる。泣くより先に笑うをくれました。彼らほど、泥臭いが格好いいひとたちいない。この好きから出会ったともだちが、今いちばん多く仲良くしているなぁと思う。


2018年の春。ひらのさんへの衝撃を受けて、悩みながらもいつのまにか見守っていたい存在になっていたKing & Prince。
ふたつのグループを好きになったわたしでも、まだまだこんなにもはじめましてなきもちになるのかと夢中になり、かつてにのさんに感じていた 恋みたいな、そんな気持ちになりました。良いことばかりじゃない未来も乗り越えて、みんなでたくさん成長して、みんなでとびっきりしあわせになってほしい。


2018年の11月末。メンバー数人の存在しか知らないのに、退所すると聞いてから自分でも驚くほど寂しくて、流れてきた局動画に、あっというまに好きがそばにいたLove-tune
彼らを知れば知るほど、名前のまんま、まわりにまであたたかな愛で溢れていて、寂しくて悔しくて仕方ないのに、わたしから大好きが離れてくれない。もう、離したくない。輝く姿を、これからを、なによりも願いたいひとたちです。


というように、掛け持ちなんて・・・なんて、正直ありえないと感じていたわたしが、一般的にみて 多いよ!と感じるほど(世に言うこれがDD)4つのグループを好きになっていました、は今更ながら長い前置きで。

 


残りの人生をやりたいことのためにメンバーのひとりが事務所を離れたグループ、病気を治すためにメンバーのひとりが活動をおやすみしているグループ、真実はわからないけれど結果的にメンバー全員が事務所を離れた(離れる)グループを好きなわたしにとって、
今回のあらしのこと、はじめて知ったときから、なぜか、どうしてもポジティブに捉えてしまうのは、非常識かなぁと、ずっと考えています。


だってね、
あらし、笑うんだもん。
ほんとうは、4人は、1日だって活動休止したくなかったはずなのに、それでも、あらしは、誰に対してもぽかぽかに優しいんだもん。
会見でのあらしがあらしでいてくれたから、
「嵐は5人で嵐です」って、「僕らはいつまでも嵐です」って、にのさんが言ってくれたから、
わたしが好きになって、ずっとみてきた大好きなあらしだったから、
それがどうしても嬉しいばかりで、信じるの一択しかありませんでした。
追記:しょうくんがZEROで「復活あります」の発言をしてくれました。嬉しいね。嬉しいなぁ。

 


でも、こうして話しているけど、
ほんとうにほんとうは、実感がないだけです。
あらしが生活からいなくなることが、どれだけのことか、今のわたしにはわかってないです。
わたしにとってあらしは生活の一部だったから。あたりまえじゃないけど、あたりまえにあるものだったから。簡単なことじゃないことくらいわかっているし、こんなにも経験してきても、あらしだけは、って懲りずに永遠を信じていたよ。
きっとこれから、あらしをみるたび、聴くたび、会うたび、知るたび、少しずつかもしれないけど、実感が涙といっしょについてくるかなぁ。
きっと、2年もあると、ふと、あれは夢だったかな?なんておもうときもあると思う。
でも、どんな毎日でも、あらしがわたしたちに感謝を届け続けてくれるなら、その何倍も、何十倍も、大好きもありがとうも伝えたいし、ちゃんとみんなと応援していきたいなぁと強く思うのです。


わたしがあらしを好きになった頃から、もうすでに人気は出始めていて、
そうして人気があることで、嬉しいや楽しいだけじゃないことも知りました。まだこどもで、わがままも言ったりして、会いたくて、どうしても会いたくて、しくしく泣いたことも、国立に行きたくてチケットないのに東京まで飛んで行ったことも、思いたくないけど羨ましいって思っちゃうことも、負の気持ちを押し殺したこともあります。でもそれ以上に、声を大にして言える、きらきら眩しくて、あたたかくて、優しくて、楽しくて、しあわせと涙した、忘れたくない宝物みたいな時間が、たくさん、たくさんあります。いろんな記憶をあらしを好きとともに過ごしてきました。
思い出せば、毎日にあらしはいて、あらしは毎日にいました。


あらしは、とても優しくて、いつだって誰にだって優しくて、
あったかくて、真面目で、今では優等生なんて言われているけど昔は尖っていたこともあって、でもそれもちゃんと今に繋げていて、正しくて、強くて、
そんな、そんなあらしが大好きでした。ずっと大好きです。

 


だから、あらしが決めたこと、わたしは、あらしと同じように覚悟を決めたいです。
毎日にあらしがいなくなること。でも、戻ってくると信じていること。

 

 

 


あらしの5人へ。
20年、あらしとして頑張り続けてくれてありがとう。
あらしのおかげで、みることができた夢や景色、出会うことができたともだち、信じることができた日々、わたしがわたしを好きになれました。
はじめて会えた日のこと、ほんとうに存在するんだと震えたこと、大好きなともだちと会いに行けた日のこと、共有し合えたこと、頑張る力をくれたこと、大切な記憶をくれたこと、溢れそうなほど、今でもちゃんと思い出せる。
わたしのいまをつくるどの道にも、辿り着く先にはあらしがいます。
あらしと生きてきたこれまでを、絶対に忘れません。これからだって、大事に、大事に生きる。

 

 

 

 


言葉に尽くせない思いを、それでもやっぱり言葉にするとしたら。
あふれる愛と感謝をこめて、心からのありがとう。

 

 


ゆっくり休んでね。

そしてまたいつか、5人と一緒に、トップになる夢、みれますように。

7人のこと。

 

 

7/21 いまのきもちの記録

 

 


この春からわたしは学生とは違って、平日は毎朝おなじ時間に起きて、朝食を食べて、支度をして、電車に乗って、会社に行って、1日仕事をして、帰ってきたら、いつのまにか朝が来てる。そんな生活をしてる。だから心に余裕も娯楽の時間もなくて、いつもよりテレビを見なくなった、そんな頃やった。

 

 


4月12日
覚えることしかなくて、頭がパンクしそうな毎日を送ってた、木曜日の仕事の帰り道。いつもみたいにTwitterを開いたら、すばるくんのことが書かれた記事が流れてきた。でもあたりまえにガセやとおもったから、そのときは何も読まずにスルーした。そこから話はすこしずつおっきくなってきたけど、記者会見をやるって噂が出たときも、ともだちとたのしく話してた土曜日まで、ううん、日曜日の朝まで、信じてなかったほんとうに。

 

 


4月15日
この日はともだちと映画を観に行く予定で、まだ時間が決まってなかったから、はやめに起きて、連絡取り合っていた9時30分頃。おかあさんがメール来てるよって言われて開いた「関ジャニ∞のメンバーから大切なお知らせ」の文字にゾッとした。一気に嫌な予感がした。数日前からの報道で、心当たりがあったから。みんなこわいって怯えてた。でも必死に、言い聞かせるように信じてた。じぶんも、大丈夫、大丈夫って頭に言い聞かせてた11時までの1時間半、もう思い出したくないくらいこわかった。長かった。なにもできんかった。ずっと震えてた。もしかしたら、あと1時間半で、世界が変わってしまうかもしれへんとおもったら、どうしようもなく苦しくなった。きっとみんなおなじ思いやったとおもう。
11時になってすぐにFCのページを開いたけど、なかなか開かんくて、開くまで待ちたかったけど、でもこのきもちに負けてしまって、というよりもこわくてTwitterを開いた。そこには頭が真っ白になるくらい今いちばん見たくなかった言葉が並んでた。FCのページがなんとか繋がって真っ先にすばるくんからの言葉が目に入ったけど、何度読み返しても頭に入ってこんくて。気づいたら滝のように涙が溢れてて文字が読めへんし、続けてメンバーからの言葉もあったけど、それも涙で全然読めへん。覚えてるのは、くるしかったことくらい。
しばらくしてアッコにおまかせに出てることを知り、チャンネルを変えたら、全く信じてなかった会見が本当に行われてた。そこには大好きな笑顔はなくて、聞きたくなかった言葉と見たくなかった表情が映ってた。
なにもかも夢みたいで、みんなもドッキリかなんかでしょって言ってたくらい、信じられんくて、でもずっとつらくて、おかしくなるくらい泣いた。ずっとずっとつらかった去年があったけど、今のほうがもっとずっとずっとつらかった。

 

 

 


ねえなんでなの。なんでこれからも関ジャニ∞が夢ではだめだったの。すばるくんの夢を否定したくないけど、やだよ。やだ。辞めないで。行かないで。そんな顔しないで。一生あなたちのアイドルです!って伝えてくれたのに。愛してますって届けてくれたのに。きっとその時その瞬間に嘘はないとおもうけれど、寂しい。寂しすぎる。6人とすばるくんなんて、やだよ。って、すばるくんの言葉を聞いても、受け止められるわけなかったし、この状況を信じられるわけなかった。すばるくんは関ジャニ∞の核と言ってるひとがいた。ほんとうにそうやとこんなときに痛感した。


そんなとき、この報道がテレビで流れて、名前も知らない誰かが「わるいことじゃないとおもいますよ」みたいなことを言ってたけど、なに言ってるのか意味がわからんかった。わるい、わるくないの話をしてるんじゃないよ、そうじゃないんだよ。

 

 

 


関ジャニ∞にすばるくんがいない未来を考えたこともなかった。ずっとずっとおじいちゃんになっても、関西弁で、7人でずっとずっとあほやって、わらってるんやとおもってた。
それが永遠に続くとおもってた。永遠なんてないってわかってる。今は今しかないって知ってる。だけど、それでもみんなも、わたしも、じぶんが応援するひとたちだけは、永遠だと信じる。まだまだこれからがあると信じる。好きやから、あたりまえに無意識に信じる。今回のことで、第三者のひとたちは、それぞれ好きなひとや好きなひとたちを思い浮かべて、あたりまえはあたりまえじゃないと言う。できるだけ会いに行こうと考える。その気持ちはわかる。いままでじぶんもそうやった。でも、ちがう。わかってない。わかるわけない、この状況に直面しない限り、わかるわけないよ。


だから、わたしは関ジャニ∞のことも、すばるくんのことも、ほんとうに、なんにもわかってなかった。わかりたくもない。いまだって納得はいってない。腹もたってる。でも、それでも関ジャニ∞を14年応援してきたわけじゃないから、すばるくん担じゃないから、すばるくんはいないけど、大好きなグループに、大好きなひとがいるから、わたしはきっと、まだまだ全然わかってない、ともおもう。
そうはいっても、すばるくんの夢は関ジャニ∞にいては叶わないなんて、つらくてどうしようもないよ。きっと少なくとも楽器のできないメンバーが、今バンドができるようにまでなったのは、間違いなくすばるくんの存在があったからなのに。
わたしは、みんなが曲を聴けない中じぶんはずっと聴いてる。だってここからすばるくんの声が聴こえなくなるなんて信じられへんくて。あまりにもすばるくんの声で溢れていて、強くて、おっきいんやもん。なのに、これからはあたらしい関ジャニ∞の曲にすばるくんの声はないし、会いに行ってもすばるくんはいないし、赤色はいないし、赤を纏った今までとおなじきもちのすばる担はいない。7人で並んでるところがもう見れない。誰も悪くないから、だからこそこのきもちがどうしようもなくどこに向かえばいいのかわからなくて彷徨って、耐えることに必死やった。

 

 

 


でも会見で、よこやまくんが「今日という日が来てほしくなかった」と泣いてた。まるちゃんが「メンバーであることに変わりはない」と笑顔でいようとしてた。りょうちゃんが「門出の日」と前を向いてた。むらかみくんが「背中を押す以外なかった」と覚悟を決めてた。おおくらくんが「勝手な決断をしたすばるくんのことを嫌いになれなかった」とぶつけてた。やすくんはコメントで「倍々!」と送り出した。(倍々の意味はレンジャーで解説してくれた)
すばるくんが関ジャニ∞を「一番大きくて大切な存在」と言った。
ファンのために、誤解を招かないために、全員で会見をしてくれた。6人が、7人の関ジャニ∞を必死に守ろうとしてくれた。
あんな記事が出ても、本人たちから報告されるまで、みんな信じて疑わなかったのは、間違いなく7人がずっとアイドルで、関ジャニ∞でいようとしてくれたからで。
ファンの気持ちとおなじようにメンバーも何度も何度も問いかけて引き止めようとしてくれて、なんかね、こんなにもつらい思いをしてるのに、嫌いになる要素がひとつもなくて、こんなにも大好きがおっきくなってね、ほんとうにこのひとたちを好きになって心からよかったと今おもってる不思議。
結局この日はともだちが予定を変更してくれてTwitter開いて誰かの言葉に共感したり、曲に泣いたりしてた。大好きなひとたちが、大好きなみんなが、つらそうなのが本当につらかった。

でも、世界は関ジャニ∞にやさしくて、あったかくて、6人のわたしたちに向ける思いを感じることができてすごく、すごくうれしかった。

 

 

 

 


あれから、泣いたり落ち着いたりを繰り返していて。翌日の月曜日なんかは朝起きてWSで会見が流れていて、夢じゃなかったことをまた突きつけられたみたいでまともに見れんかった。

電車を待っていても、乗っていても、会社でも、すれ違うひとさえも、いつもと変わらないようにみえて、ひとりだけひとつの世界に取り残されてるみたいやった。ふとしたときに思い出して泣きそうになるのを堪えて、くるしくなってた。
あんなになりたくなかった社会人が、あんなに始まってほしくなかった仕事に、いつのまにか集中していて忘れられるから、すこし、ほんのすこしだけ救われてるなんて嘘みたいに感じた。気づけばいつもなら長くて疲れ切った1週間がおわってた。今週はやかったな。

そんなことあるわけないっておもってたけど、でもやっぱり時間っていうのは凄くて、日曜日よりはすこしずつ元気になってきたし、自然と笑えるようにもなった。あんまり眠れはせーへんけど、ごはんも食べる、仕事もしてる、ちゃんと生きてる。またあしたからも、そうなんやとおもう。ふとしたときに思い出して、溢れそうになって、くるしいけど、つらいけど、泣いても泣いても毎日は過ぎていく。

 

 

 

 


わたしは、勝手に行っちゃうすばるくんを、みんな怒っていいんだよ。怒ってよ。我慢して、そんな仕方ないみたいなくるしそうな顔、みたくないよ。6人が、心配だよ。っておもってる。

でも勝手すぎるのに、14年築き上げてきた今までの全てをめちゃくちゃにしたのに、メンバーにあんな思いさせて、あんな顔させたのに、そんなのいまでも許せるわけないのに、変わらずどこまでも真っ直ぐで不器用なすばるくんがきっとずっと大好きだよ、とおもう。

すばるくんはヒーロー。すばるくんにたくさん救ってもらったこと、じぶんのなかにいっぱいいっぱいあるよ。

誰がなんと言おうとあの会見がすべてやとおもった。関ジャニ∞が詰まってた。みんなで(やすくんはいなかったけど)会見してくれて、ありがとう。いまでもFCのページのみんなの言葉はつらくて開けないけど。読めないけど。前を向こうとはしてる。

 


今回のことで、わたしは1番、おおくらくんに救われたかもしれない。たぶん、そういうひとは多い気がする。誰よりも1番ファンの気持ちをすばるくんに問いかけてくれた。土曜日のANNで涙堪えて話していて、そのあとにLIFE流して頑張ってくれた。よこやまくんは泣いていて俯いたりもしていたけど、それでも上を、前を、向こうとしてくれた。サタプラで、やすくんが出られなくて、いつも眼鏡かけてるからって理由で眼鏡をかけてたことを話してくれた。優しさに、強さに、思いに、わたしはやっぱり関ジャニ∞から生きる力をもらう。
 

6人の関ジャニ∞に慣れるのはみんなとおなじようにこわいけど、嫌だけど、14年間の歴史がなくなるわけじゃない、そこに嘘はなかったとおおくらくんも言ってたから。わたしも、6人と、みんなと、ゆっくりでもすこしずつ、ちゃんと生きていきたいとおもえてるよ。

 

 

 

 

 


7人の関ジャニ∞が大好きやった。内くんを知らんから、じぶんにとって関ジャニ∞は7人やった。ずっと7人なんよ。あほでばかで、変態で、人見知りやけど、仲間思いで、おっきな口あけてわらって、でも歌に真っ直ぐで、全力で、誰よりも華奢な身体から誰よりも図太く熱い歌声を放つすばるくんがいる関ジャニ∞を好きになった。ともだちは6人、メンバー。って照れるすばるくんがほんとうに好きやった。

好きになってから、ほんとうに、ずっとたのしかった。いつもドキドキして、いつもワクワクして、想像以上のうれしいやたのしいをくれた。7人の関ジャニ∞は最高で最強やった。ほんとうに、しあわせやった。いろんな角度から、いろんなものを、すべていとしくおもえるくらい、たくさんたくさんしあわせをもらった。

もう見れないよこすばも、まつばらも、まるすばも、やすばも、気まずいも、すばくらも、その全部の関係性や空気感や会話も、いまも悔しいくらい大好き。そんな大好きを傷つけたんやから、絶対に、絶対にすぐに日本に帰ってこないでほしい。関ジャニ∞に甘えないでほしい。その覚悟で辞めるんでしょう、その覚悟で海外に行くんでしょう。
メンバーも、わたしたちも、ずっとずっと味方やから、応援してるから、絶対に、関ジャニ∞では叶えられなかった夢叶えてよ。死ぬまで歌っててよ。

 

 

 


ねえ、すばるくん。

わたしは首の後ろにほくろがある7人が好きで、それを「やっぱり兄弟やねんて」って言うすばるくんがほんとうに大好きでした。すばるくんがいる7人の関ジャニ∞がほんとうに大好きでした。
最後になるとおもってなかったけれど、2017年のあの時期に「生きろ」という曲をつくって、歌ってくれて、届けてくれてありがとう。すばるくんが好きなともだちと出会えて、たくさんの思い出をくれてありがとう。

eighterという名前を、愛をくれて、ありがとう。ありがとう。


みんなよりは短かったけど、すばるくんが叫ぶeighterでいられて幸せでした。愛でした。愛です。
がんばって。がんばろうね。
そして、しあわせになって。しあわせになろうね。
またいつか。

 

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